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自分ばかりを後回しにして、苦しかった-グリーフケア編

自分ばかりを後回しにして、苦しかった-グリーフケア編

by 星 ゆいこ
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『自分ばかりを後回しにして、苦しかった-グリーフケア編』

 

前回、「自分ばかりを後回しにして、苦しかった」という記事をご紹介しましたが、

 

グリーフケア(死別による悲嘆)においても、

死別をきっかけに、

 

自分ばかりを後回しにして、苦しい。

故人のことばかりを考えて、苦しい。

 

という、苦しみとつらさから、抜け出せない、

どっぷりはまっていて、抜け出せない、ということがおきやすいです。

 

 

死別によって、

 

「もっとできたはず」

「もっと、こうしていれば良かった」

 

と、自分を責めて、

故人の遺志や、故人のことばかりを考えて、

 

自分が今生きていることより、

故人が望むだろうということを、優先していると、

 

だんだん苦しくなってきます。

 

 

故人を思うがあまり、

自分より故人を優先させてしまうと、

やっぱりどうしたって、苦しいんです。

 

 

故人の人生と、自分の人生は、別物です。

 

故人の人生を生きることは、誰にもできません。

 

 

できることは、

大切な人の死によって、自分の人生を改めて考え直すこと。

 

後悔も、苦しみも、

亡くなって初めて知る、誰にも言えない懺悔も罪悪感も、

 

全て、乗り越えようとしなくても、

背負うこともしなくても、

 

自分自身の人生を生きる糧にすること。

 

 

ただ、これが簡単ではなく、とてつもなくつらいからこそ、

苦しくて大変な訳ですが、

 

それでも、その「大変」さは、決して悪でも、可哀想なのでもなく、

誰にでも、訪れる可能性があるものです。

 

 

 

どんなに大切な人でも、

「自分より優先」させてしまうと、

自分がなくなります。

 

そして、グリーフケアの場合、ちょっと厄介なのが、

 

「自分より故人を優先させること」

「自分の気持ちより、故人の遺志を最優先させること」

 

に、なんの疑いも持たないまま、過ごしてしまうこと。

 

 

死によって、その生が、絶対的な「正しさ」になってしまうことです。

 

 

それが、心から幸せな人生だったら、

もちろん問題ありませんが、

 

それが、寂しさや、罪悪感や、

許されたい一心で、無意識的にやってしまっていたら、

 

どうしても身体に「不調」として表れます。

 

 

ここぞ、というときに、力を出すことができず、ダウンします。

 

 

 

そして、また大切な人が、

 

「ここにいない」というつらい喪失感から、

 

どうしても、

 

「生きていてくれたら」

 

と、願わずにはいられず、

心が締め付けられる切なさに苦しめられてしまいますが、

 

 

それでも、

そうだとしても、

 

その苦しみの奥には、

「絶望」ではなく、

「感謝」で溢れた世界が待っているんですよ。

 

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