ホーム / いきいきと毎日を過ごす /

故人に遠慮して、元気になれ(ら)ない

故人に遠慮して、元気になれ(ら)ない

by 星 ゆいこ
この投稿のコメントは受け付けていません。

こんにちは。

 

悲しみを引き受け、

あなたの重たい心と体を軽くする命に寄り添うコーチ

星 ゆいこです。

 

 

家族を、大切な人をがんで亡くしたとき、

なかなか、普段通りの元気をとりもどすことができません。

 

当然のことといえば当然ですが、

 

大事な家族を亡くす経験をして、

「死」というものを目の当たりにすることで、

 

命の重さや、

生きること、

健康であったことの尊さを思い切り知らしめられ、

 

告知から闘病、死までの壮絶な経験をしたあとでは、

 

世の中の出来事、

全てのことが、

 

自分とはかけ離れた出来事のようで、

 

どうでもいいような、

 

元気になるとか、

楽しくなるとか、

 

それどころではない心情というのが、正直なところだと思います。

 

 

それどころではない、

というのを具体的に書くと、

 

死を受け入れることに必死で、

家族がいない大きな喪失感を抱えながらも、

日々を生きていかなくてはならない、

 

ということです。

 

 

これが、けっこうキツかったりします。

 

 

喪に服す期間とされる喪中は1年ですが、

 

だからといって、

 

喪があけたからスッキリするとか、

喪があけたから気づけば乗り越えている、

 

ということは、残念ながらおきません。

 

 

心に抱える悲しみと苦しみ、

喪失感が癒えるのには時間がかかります。

 

 

生きている間に、

こうしておけば良かった、

ああしておけば良かった、

 

と後悔することが多ければ多いほど、

 

亡くなった家族に対する、

自分の言動に後悔が多ければ多いほど、

 

時間がかかるか、

永遠に心に抱えたまま未消化のままで、

時間だけが過ぎ去っていくことも、普通に起こります。

 

(というより、ほとんどのケースがこれです)

 

 

できたはずなのに、

できなかったこと。

 

してあげられなかったこと。

 

いや、自分の意思で、

やらなかったことが、あればあるほど、

 

苦しみが何倍にも何十倍にも膨れ上がり、

1年や数年で癒すことなど、到底不可能です。

 

ここから自然に癒すことは困難です。

 

 

なぜなら、

タイトル通り、

 

(亡くなった)家族を思うと、

自分が元気になったり、楽しんだりすることに、

罪悪感を感じ、なかなか元気になれません。

 

どんな励ましも、

どんなアドバイスも、

 

罪悪感と後悔でいっぱいなので、

自分で望んで元気にならない、と決めている以上、意味をなしません。

 

 

元気にならない

楽しまない

苦しいままでいる

 

そのことによって、

(亡くなった)家族に対して、懺悔、謝罪を続けているので、

 

許されるかどうか永遠にわからないまま、苦しみます。

 

 

セッションは、許しです。

 

 

取り返しのつかない後悔も、

苦しみも、セッションを受けると、許せます。

 

というより、

 

自分を許そうとしなくても、許してしまう、

というより、許さざるをえなくなります。

 

許さなくてもいいし、

許してもいい、

 

自分の望み通りにすることができる、ということが、

わかってしまうのが、セッションです。

 

 

そうすると、

 

元気にならなくてもいいし、

遠慮したままでもいい。

 

でも、元気になった方がいいよね、

遠慮なんかしなくてもいいよね、

 

ということが、

 

アドバイスや励ましでは、

到底たどり着けない「体感覚」で、

深く深く気づいてしまうのが、セッションです。

この記事を共有する

コメントは締め切りました