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セッションさえ受ければ良いですか?-3

セッションさえ受ければ良いですか?-3

by 星 ゆいこ
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「セッションさえ受ければ良いですか?」

 

この質問には、イエス、ともノーとも言えます。

 

 

セッションは、

 

どんなにつらく、悲しいことでも、

大きな視点=自分の使命(ミッション)から見れば、

 

必ずうまくいっていて、

必ず、つらくないと、悲しくないといけない。

 

それが、

 

誰に言われるでも、強制されるでも、

お説教されるでもなく、説き伏せられるわけでもなく、

 

自分で自分の内側=心の中で、

深く深く腑に落ちることで、

 

スパッと、つらさと悲しみが、不思議と苦しくなくなります。

 

 

なぜなら、

 

不幸な出来事で、

誰かのせいで、

 

つらくさせられていたわけでも、

悲しまされたわけでもなく、

 

自分の人生の使命(ミッション)のためには、

絶対的に、そうでないといけないように、自分で自ら悲しく、つらくしている。

 

そう気がつくことができるからです。

 

 

自分が知らず知らずのうちに、

自分で悲しくつらくできる!

 

と気がつくことができると、

 

知らず知らずのうちに

どんどん自分で好きなように楽しくも幸せにもできる。

 

 

好きなだけ、悲しんでつらくて苦しむ力があるなら、

好きなだけ、楽しく幸せにする力がある。

 

そこに、自分で気づけるのが、セッションです。

 

 

悲しまないよう、

つらい思いをしないよう、

苦しまないよう、

 

セッションで何とかできないか?と言われたら、答えはノーです。

 

 

悲しくて、つらくて、苦しい。

これ以上は、悲しめない、つらすぎて耐えられない、苦しくて夜も眠れない。

 

セッションで解決できますか?と言われたら、答えはイエスです。

 

 

具体的な例を出すと、

前者の質問はこんな感じです。

 

 

「免許が欲しいんですけど、落ちるのが嫌なので、セッションでどうにかできますか?」

 

答え ノー(セッションを受けて、急に免許が手に入っていたら怖いですよね…まずは教習所へGO!)

 

 

「免許が欲しくて、教習所に通って、何度も最終試験を受けているのに、

 どうしても受からないんです。セッションでその理由がわかりますか?」

 

答え イエス(試験に落ちたくて落ちている可能性大です)

 

 

もっというと、セッションでは、

 

「死なないように生きること」のお手伝いはできませんが、

「死を受け入れ、楽しく生きること」のお手伝いができます。

 

 

それは、死が平気になることではなく、

引き寄せで、死をなくすことではなく、

 

 

「死とともに生きること」

 

=「限られた時間を、どうしたいか」

=「自分の人生をどう創造するか」

 

人生の主導権を握り直すことです。

 

 

「死がないと、そもそも生きられません」

 

 

死の直前に、

 

「失敗しないようセッションを受けておけば良かった」と思うか、

「失敗しても、自分の思うことに挑戦しておけば良かった」と思うか。

 

「どうしてもうまくいかない時に、自分で何とかしようとせずに、セッションを試してみれば良かった」と思うか。

 

正解はありません。

 

死の直前に思うことは、どんなことでしょうか?

 

 

今日は、グリーフケアではなく、

セッションと生と死について書いてみました^^

 

 

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